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魂を分割する

はじめに

(長いので読み飛ばしてください。本題の前日談です。)

先日彼女と別れました。

結構。というか、かなり。 個人的にはショックな出来事でした。 今でも、ことあるごとに虚無感に襲われています。

同棲までしていたものですから、別れてから、離れるまでそれなりの時間差があります。 今はその時間差の真っ只中でございます。 別れてるけど離れてない、ちぐはぐな状態なわけです。

お付き合いを経て、下がった人間強度は、支えとなっていたものを失い、朧豆腐と同じく、ぐずぐずに崩れきっています。 そんなわけで突如襲われる虚無感や、希死念慮が自身を蝕んでいくわけです。

メンタルは下がるし、食欲もあまりなく、何をしていても身が入ることはありません。 どんなに頑張って元気を出そうと思っても結局は空元気。空っぽです。

そして、失ってしまった関係はもう二度と元には戻りません。 「仕方のないこと」そう言い聞かせないと何もやっていけないのです。

まだ、家族でもない違う人間同士が同じ屋根の下で暮らしているわけですから、生活上それなりに思うところがお互いに出てきます。 「自分の居心地の良い時が相手が我慢している時。」 という表現がありますが、別に自分が我慢してるからって相手が心地よく過ごしてるわけではないのです。

相手だって充分我慢して過ごしてることもあるでしょう。 私このような当たり前のことも見落としていたわけです。

別れた原因は、私自身の人間性によるものであり、相手に多大な負担をかけ、疲弊させてしまったことなのですが、 困ったことに私自身は、「別れる」ということを理解、納得をしつつも、諦めきれていないということです。

それでも、お相手は明確にNoと言っていますし、この気持ちを伝えて上で「別れる」という選択を取ったので、迷惑をかけないようにしなくてはなりません。 迷惑をかけたいわけでもないです。 ですが、お付き合いをさせてもらっていた時から感情的になって迷惑をかけていたので、適切な距離感をもって、自分の感情もいずれはきちんと整理したいです。

ひとえに自身の未熟さが招いた結果ではあるもの、それを受け止め切れるほど達者であれば、こういうことにもなってないかもしれません。 もう好きじゃないと自分の気持ちに蓋をして、嘘をついて、いつか本当になる日を迎い入れてたいですね。

ジンベエもいってました。

今は辛かろうがルフィ...!! それらを押し殺せ!! 失った物ばかり数えるな!! 無いものは無い!! 確認せい!! お前にまだ残っておるものは何じゃ!!

残ってるもの、友達ですね。 いまあるもので精一杯生きていくしかないのですよ


今、この文章を書いていてお皿を思い出しました。

人間関係は皿です。

一度ひびが入れば、金継ぎや、接着材等で、機能性を損なうことなく使うことができますが、ひびが入った事実をなくすことはできません。 ひび割れを繰り返すうちに、やがて皿は割れてしまいます。何度も何度も修復を繰り返していては、ひび割れてしまった皿はもう修復はできないでしょう。

人間関係もそういうものなんじゃないかなと。

触れ合う回数が多ければ多いほど、衝突する頻度は多くなり、ひび割れる機会も多くなります。 緩衝材もあるかもしれませんが、その厚さは心の余裕次第だと思います。

お互いがしんどい時にぶつかればそれは割れてしまうモノです。

やがて、ぶつかることを避けて、もう二度と交わらないこともあるでしょう。

適切な距離感、適切な強度、適切な接し方、すべてがバランスよく成立してやっと成立するものなのでしょう。

割れてしまった皿はもう二度と戻らないので。

魂の分割

閑話休題、本題に入りましょう。

1つの場所に大きく偏ったところに居場所を作るとします。うまく回っているうちはとても気持ちがいいものです。 自分の持っているリソースをどれだけ注いでも受け入れてくれる器があり、他の人も同じ分のリソースをさいてくれているかもしれません。 そこには多大な安心感があり、自分が必要とされている実感があります。 毎日が充実し、そこにいる時間が人生の中心になっていきます。

朝起きてから夜眠るまで、その場所のことを考えている。 共有したい話題、一緒に過ごす時間、一緒に行きたい場所。 それらが生きる活力となり、自分のアイデンティティの核を形成していく。 「ここにいれば大丈夫」という安堵感は、何にも代えがたい経験と感覚を与えてくれます。

しかし、この心地よさには大きな落とし穴が潜んでいます。


ですが、これを失ってしまったらどうでしょうか。それも突然。

例えばそこに自分のほとんどを預けていたら、もう取り返しがつきません。 そこに生まれた大きな穴は自身の半分以上を形成していた場合、残された半分未満は四捨五入でいえば0です。 生活のリズムは崩れ、何をしていいかわからなくなります。

帰る場所がなくなった感覚。話しかける相手がいない孤独感。 そういった虚ろな間隔が、虚無感と希死念慮に繋がります。


今現在、私はこの渦中にあります。お付き合いをしていた方(過去形)とその周辺の友人、そこでの人間関係や活動が生活の大部分を占めていました。別れによって居場所に残るぎこちなさがうまれました。

朝起きても目的がない。夜眠る前に振り返っても、何も残っていない一日。 失った痛みでだけではなく、自分という存在の基盤が崩れた喪失感も入り混じります。

だからこそ、こうなる前に予防線を引いておく必要があります。


そうならないために、魂を分割する必要があります。

細分化されていれば1つを失ってもダメージは少量ですみ、穴は小さく、補修も可能か、その穴すら無視できるものかもしれません。 職場、趣味のサークル、オンラインコミュニティ、家族、友人。 それぞれに適度な距離感を保ちながら、複数の居場所を持つこと。

誤解をしないで欲しいのは、「浅い付き合いをしろ」というわけではないということです。 ここで預けるのは「魂」に他ならないです。どこにでも同じ熱量を持てば良いのです。

一つの場所に100%を注ぐのではなく、五つの場所に少しずつ無理をしてそれぞれ30%ずつ割り当てる。 150%で生きる。そんなイメージです。 それぞれの場所で全力を尽くし、その場所での関係を大切にするのです。

ここからは単なる妄想です。そうあればいいな程度。

依存しないからこそ大切にできる

1つの場所に依存しすぎないことで、かえってそれぞれの関係をより大切できるのではないか。 失ってから初めて気づく大切さなんてものに気づくのと似た感覚で、触れていない時間こそが、大切にする気持ちを確固たるものへと形成させていくのではないか。

同じ場所にいては、その中の価値観が当たり前になってしまいます。 最初は特別だったモノでも、時間が経つにつれ慣れてしまい、ついありがたさを忘れてしまうものです。

複数の居場所を持つことで、それぞれの場所から一時的に離れる時間が生まれます。 その距離が、かえってその場所の価値を再認識させてくれる。「ああ、この環境は当たり前じゃないんだ」と。

そこでのリスペクトが、相手に過度な期待を押し付けることもなく、 「この人が全てを満たしてくれる」という過度な期待から、負担を強いることもなくなります。

なので、魂を分割することが大事なのです。

単なる複数の居場所を持つことではなく、それぞれに精魂を込め、心血を注ぎ、己の足跡で道を作るのです。 表面的に顔を出すだけの場所を増やしても意味はなく、それぞれの場所で、本気で関わり、本気で貢献し、本気で楽しむ。

一つの道に全てを賭けていた時は、その道が塞がれれば終わりでした。 それを失えば何も残っていません。

これは魂の分割であって分散ではないのです。

さいごに

皆さんも私みたいに抜け殻にならないよう、魂を分割しましょう。 大切な人たちとの関係を長く健全に保つための秘訣になるかもしれません。

別れたのは本当に悲しいし、虚無感や希死念慮でいっぱいだけど、切り替えたい。

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